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21 February 2021
初心者として、おそらくスタイルミスをして、最初である程度で勝手にするだろう。いずれにしても、すべてのコードを尊重するつもりがない。ある種のルールが必要なのは理解しているんだけど、あまりにも硬直した枠組みを提供すると、目新しさに完全に閉ざされ、恣意的な「エリート」だけがアクセスできるシステムになって、私を大いに困らせてしまう。
それは、言語とそれに結びついた表現方法への愛であり、私が書くことを駆り立てる実用的な配慮(私は最近、それが自分の感情をよりよく理解し、表現するための優れたツールである可能性に気付いた)だ。
日本語がまだ話せなかった頃、私が知っていた日本の詩といえば俳句しかなかったんだけど、それは今でも短すぎて、そのように楽しむことがなかった。時間が経ち、日本詩がどのような言語で作られたのかをよりよく理解するようになると、これらの表現方法に興味を持つようになった。このことは、非常に描写的な言語の出身者である私にとっては、今でも、そしておそらくこれからも、非常に不穏なものであり続けるだろう。
面白く、主人公(侍)が特定の場所で、座って、周囲の風景を熟考し、設定の選択された要素に応じて短歌を詠むことができるゲーム 『ゴースト・オブ・ツシマ』は、私が短歌を書くことを決めたのは、主にだった。このゲームは、その自由に使える環境(音楽、風景、美、文化的要素...)を見事に利用していることがわかったし、その瞬間の儚い感情を完璧に捉えた歌には、本当に感動しまった。
私が書きたいと思った個人的な理由については、まだよくわからないごちゃごちゃしたものなので、心の理論、自閉症、ジェンダーによる解釈を一括して引用しておく。できる人は理解する。